望月宿から和田宿
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【中山道茂田井入口の説明】AM 08:39
 望月宿を抜けると中山道は茂田井に至っている。茂田井は、東の望月宿と西の芦田宿の間にある旧村で、現在は間の宿(あいのしゅく)とも呼ばれている。 ここは茂田井への入口で坂を下りはじめると、江戸時代の面影の残る民家や造り酒屋が軒を連ねている。
 寛保二年の大洪水で望月新町が道ごと流されたり、本町も大きな被害を受けたため、茂田井村を望月宿の加宿にしようと江戸幕府に願い出たが却下された経緯がある。
元治元年11月19日、天狗党水戸浪士の中山道通貨に際しては、茂田井村が小諸藩兵士400人程の宿となっている。
 また、文久元年11月7日には、徳川十四代将軍家茂に、公武合体の犠牲となって降嫁される孝明天皇の妹和宮の大行列が茂田井を通過するなど大きなできごとがあった。
 一里塚は、瓜生坂頂上付近に続き、立科町茂田井の石原坂を上りきった左右に位置しているが、現在は痕跡がみられるだけである。  ≪佐久市教育委員会≫
茂田井宿地図
【茂田井宿が坂の下に見えます】AM 08:45
 「どこから来たの?」と気軽に声がかかる。
【神明社】AM 08:49 1709年建立  祭神は天照大神、雨乞いの霊験として崇拝されている。
【叶屋(武重本家酒造株式会社)】AM 08:52
 (上記右の建物) 国指定有形文化財 
 明治元年(1868)酒造業を創業。江戸時代後期の住宅と酒造施設三十棟が歴史的景観を伝える貴重な建物として国の登録有形文化財に指定されている。
【蔦屋(大澤酒造株式会社)】AM 08:56
元禄二年(1689)酒造業を創業
【しなの山林美術館・民俗資料館】
大澤酒造敷地内に併設。
【下組高札場跡】AM08:58 大澤家の塀に設置
大澤家1737~1871年まで茂田井村名主を勤めた。
【諏訪神社】  茂田井の諏訪神社は、諏訪神社の分社で建御名方命を祭神とする。創建は不明。現在の社殿は文化十五年(1818)茂田井の宮大工田中圓蔵(立川流)の手により再建された。本殿上尾の中は一間社流造。随所に施された名工による彫刻が見事である。
【上組高札場跡】AM 09:07
【茂田井宿を振り返る】 AM 09:07
【石割坂】 AM 09:10 勾配がきつく大きな石があり交通に不便で、その石を割り中山道を開通させた。
【一里塚跡】AM 09:11
【茂田井宿終了】AM 09:15
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