浦和宿から高崎宿
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新町宿
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≪倉賀野宿まで5.9km≫
※ほとんどの写真は、2011年4月3日に徒歩にて取材撮影したものです。
①【神流川古戦場跡】PM02:28 石碑横の説明より   (新町は合併して今は飛び地の高崎市です。)
天正10年(1582)6月19日、織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領瀧川一益は信長の仇を討たんと京へ志し、これに対して好機至れりと北条氏は五万の大軍を神流川流域に進めた。瀧川一益は義を重んじ勇猛の西上州軍一万六千を率いて、石をも燃ゆる盛夏の中死闘を展開し、瀧川軍は戦死三千七百六十級の戦史に稀なる大激戦で「神流川合戦」と呼んでいる。後世古戦場に石碑を建立し、首塚、胴塚も史跡として残され東音頭にもうたわれ、神流の清流も今も変わることなく清らかに流れている。  
②【17号国道から右の道が中山道】
②【常夜灯】1724年江戸に近い「笛木新宿」と奥にあった「落合新宿」をあわせて「新町宿」にした。
③【八坂神社と芭蕉句碑】
④【諏訪神社】
④【元禄の石鳥居】新町で最古の鳥居。老朽化しており下部が埋もれている。 諏訪神社の奥にあったよ。
⑤【高札場跡】民家の庭先に建てられていたよ。 ここが落合新宿と笛木新宿との境だった。
⑥【明治天皇行在所】明治11年に明治天皇が宿泊されたところ。
⑦【於菊稲荷神社】新町宿の飯盛り女が奉納
⑧【旅籠高瀬屋跡碑】小林一茶が常夜灯の寄付金を強要されたという旅籠屋跡。
⑨【小林本陣跡】建物は残されていないよ。
⑩【日本スリーデーマーチ発祥の碑】碑文は中曽根康弘元総理が書いたもの。温井川の右手前にあったよ。
【橋を渡り、右斜めの道へ】
【右の道に入ったところに「旧中山道」標識】
【こんな感じの道を直進です】
⑪【文化庁登録有形文化財 川端家住宅】江戸時代からの建物が残る豪農、白壁や板張りの壁が美しい。
【関越自動車道のガードをくぐる】
【土手を上がらず、左の道へ】
⑫【道なりに左へ】
【民家の軒先を歩いていくよ】
【畑の中を進む】
⑬【右折です】
⑭【土手を上がりるよ】
【高崎・伊勢崎自転車道線】PM02:43 藤岡市
 看板を発見して、思わず土手を上がりました。 自転車道が続いています。  土手の向こうには、サッカーコートや野球場などスポーツには大変良い環境ですね。 「烏川スポーツ広場」だそうです。  ※暫く休憩です。
⑮【土手を下がり、住宅街へ】
⑯【左へ】
⑰【突き当りを右へ】
⑱【カーブミラーのところを右へ】
⑲【石の倉庫】
【倉庫の対面に標識が・・・・】
【土手に上がって進みます】
⑳【ここら辺が、昔渡しがあったところでは??】
【柳瀬橋】PM02:59  烏川を渡ると高崎市です。
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