浦和宿から高崎宿
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≪深谷宿まで10.8km≫
※写真は、2010年12月5日に徒歩にて取材撮影したものです。
【熊谷の地名の由来】
・荒川の氾濫原であったことから「曲谷(くまがや)」から転じたもの
・この地の出身である熊谷次郎直実の父、直貞が周辺を荒らし回っていた熊を退治したことから
など諸説があります。
【熊谷宿】
秩父街道の追分のある交通の要衝として、また荒川を利用した舟運などで商業都市して発展した。忍藩の方針で飯盛女が置かれなかったので、次の深谷宿に宿泊する旅人が多かった。
①【熊谷直実像】熊谷駅北口にあるよ。
②【高城神社(左)】
 平安時代(905年)、宮中において延喜式(?)、式内社(?)に指定された、大変古い神社です。
【灯籠(右)】
 右の写真は、高城神社境内にある、熊谷宿の紺屋が寄進した青銅の灯籠。  この灯籠は高さ275cmという青銅製の大きなもので、天保12年(1841)に建てられました。 灯籠の台座には、県内はもとより江戸・川崎・桐生・高崎・京都など、広範囲に及ぶ150名もの紺屋(藍染業者)の名前が奉納者として刻まれています。 このうち熊谷の奉納者は約40名に及んでいます。
 当地では、江戸時代中頃から藍染業が活況を呈していたことが知られており、明治時代後半は紺屋の最盛期であったといわれています。
 常夜灯(灯籠)は高城神社が藍染業者から厚い信仰を受けてきた事実を語る資料として、また、藍染業の盛況を知る記念碑ともいえる貴重なものです。  ≪熊谷市教育委員会≫
③【札の辻跡】高札場跡
④【本陣跡】 明治の火災と戦災で跡形もなくなってしまつた。 規模・構造共に屈指のものだったらしい。
⑤【熊谷(ゆうこく)寺】 熊谷直実にゆかり深い寺
⑥【星渓園(けいせいえん)】熊谷宿本陣の別邸であったという。回遊式庭園
⑦【八木橋デパート】
 正門の前の碑、店の中を旧中山道が通っている。
【八木橋デパート裏門の碑】
八木橋デパート裏門から旧中山道は路地に入る。
⑧国道17号の石原(南)歩道橋にでてくるよ。
⑨【秩父道志るべ】(東武鉄道熊谷線跡地の公園内)
 室町時代に始まった秩父札所の観音信仰は、江戸時代に入ると盛んになり、最盛期には秩父盆地を訪れる巡礼の数は数万人に達した。 江戸からの順路の一つとしてこの地石原村で中仙道から分かれて、寄居、釜伏峠、三沢を経由する秩父道があった。
 これはその分岐点を示す道しるべである創建当時は東へ約50メートルの所にあったが、平成16年9月に現在地に移設された。
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